心を落ち着ける「マインドフルネス」で心のエクササイズを(2017.01.02)

「マインドフルネス」とは「いま」に意識を集中させ、五感を研ぎ澄まし「あるがまま」に現実を受け入れる新しい瞑想法である。わかったような、わからないような感じがするかもしれないが、実際痛み止めが効かない心身の苦痛を和らげ、うつ病や不眠症に効果がみられるなど様々な効果があると報告がされているのだ。

また、グーグルなど大企業が社員の福利厚生の一環としてこの「マインドフルネス」を取り入れ話題となっている。

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欧米ではブームと言っていいほど受け入れられている新たな「心のエクササイズ」だが、一歩間違えると全く逆の効果を招いてしまうことをご存知だろうか。

例えば1992年に、米カリフォルニア大学アーバイン校のデイビッド・シャピロ教授が行った研究では、瞑想を行った人の7%がパニックやうつなどの深刻な心理状態に陥ってしまったそうだ。クーリエ・ジャポンの記事より)

そこで今回は、「マインドフルネス」を仏教の瞑想から宗教的な物を排除したものと定義した上で、誤解されがちな瞑想の考え方や、そもそも瞑想とは何かについて紹介していこう。

そもそも瞑想と悟りってなに?

ここからは、仏教的な観念も入るので、少々説明が難解になるが、「ありのままの自分を受け入れる」ことが最大の目的であること、と知っておいて欲しい。

参考にした文献である、ユヴァル・ノア・ハラリ(2016『サピエンス全史』河出書房新社)は、かのビル・ゲイツや、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグも読んで、取り入れている書籍だ。

以下、文章の内容を参考としながら、再構築した内容。

たいていの人はこころよい感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考え、多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避ける。

これは直感的にわかりやすいと思うが、実はここに問題があり、我々の感情は、海の波のように刻一刻と変化する、つかの間の心のゆらぎに過ぎないのだ。

五分前に喜びや人生の意義を感じていても、次の一瞬の間に悲しくなって意気消沈しているかもしれない。仮にこころよい感情を得られたとしても、また一からやり直さねばならず、自分の苦労に対する永続的な報いは決して得られないのだ。

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つまり、一生喜びの感情を追求するというのは、何十年も浜辺に立ち、「良い」波を腕に抱きかかえて崩れないようにしつつ、「悪い」波を押し返して近づけまいと奮闘するに等しい。

苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、虚しく求め続けることなのだ。そして、感情を追い求めれば、私達は常に緊張し、混乱し、不満を抱くことになる。この追求のせいで、心は決して満たされることはない。

人間は、あれやこれやのはかない感情を経験した時ではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめた時に初めて苦しみから解放される。それが仏教で瞑想を積む目的だ。

瞑想するときには、自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がすべて絶え間なく湧き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟るものとされている。砂の上に腰を下ろし、波が好きなように寄せては返すのに任せ「ありのまま」を受け入れる境地こそが悟りなのだ。

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少し難しかったかもしれないが、永遠の命を求めた秦の始皇帝や「今欲しいものは?」と聞かれ「若さ」と答えた投資家ジョージ・ソロスなど地位や財力を極めた方たちの人生が最終的に幸せだったか考えてみると理解のヒントになるかもしれない。

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