平安時代は必死だった!「香りと日本の男たち」の知られざる歴史(2018.07.05)
平安時代は必死だった!「香りと日本の男たち」の知られざる歴史
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◆必死に香りをつけた平安時代
日本に香りの文化が伝えられたのは飛鳥時代で、仏教の伝来とともに仏前に供える供香(そなえこう)がはじめ。
平安時代になると宮廷貴族が部屋や着物に香をたきしめる風習が盛んになり、ファッションとして香りを楽しむ文化へと発展しました。
当時の男性はオリジナルの香りをつけるのに懸命で、自分のセンスの良さを歌だけでなく香りでアピールしていました。
男女が気軽に顔を合わせられないこの頃は、契りを結ぶ直前までお互いの顔が分からない時代。
男性は外から歌を送り、女性は真っ暗な闇の中でそのセンスと声の良さ、そして香りで男性の魅力判断し、OKしなければ絶対に中には入れてくれませんでした。
それゆえ男性は、競ってオリジナリティある自分の香りを研究していました。
◆香りは精神を高めるものへ
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しかしその後、武士が中心の社会となってからは香木の香りに心を傾け落ち着かせ、戦に備え精神に磨きを高める文化が拡まり、男性たちはそれまでの複雑な香りとは違いシンプルな香りを好むようになりました。
室町時代には、席で一つずつ順番に香をまわしてその名前を当てたり香りの組み合わせを当てたりする「香道」が確立され、三條西流(さんじょうにしりゅう)と志野流(しのりゅう)が中心となって今に至っています。
◆ 次第に庶民にも拡がる香り文化
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香木や香りの素材は非常に高価であったため、香りを楽しむ文化は貴族や武家そして一部の豪商のみのものでしたが、庶民が化粧に用いるなど身近な存在になったのは江戸時代になってから。
平賀源内が、『物類品隲』(ぶつるいひんしつ)の中でランビキ(蘭引)という蒸留器を使った「薔薇露」(バラのつゆ)の作り方を紹介し、江戸時代後期には「花の露の取り方」としてヤカンと茶碗で作る方法も紹介され、下町の薬屋を通して香りのする化粧水が広く出回っていました
